日本アルコンのビジョンケア事業部冨山芳明さんが、大阪転勤のご挨拶に来られました

冨山芳明さんとは、アルコンが液体消毒オプティフリーを販売する前からのお付き合いです。

アルコンビジョンケア事業本部 営業統括部、フィールドセールス営業部 西日本エリア 近畿ディストリクト ディストリクトマネージャーの冨山芳明さんが大阪へ転勤してきたので、転任のご挨拶に来られました。

冨山芳明さんとのお付き合いは、アルコンが帝人アルコンとしてケア用品を販売し始めた頃からのお付き合いです。

アルコンにはまだ西日本に取引先がなくて、さんプラザコンタクトレンズが最初の取引先でした。

アルコンは、液体消毒液のオプティフリーを、厚生労働省から販売許可を得る前に、液体消毒の啓蒙活動を始めていました。

その液体消毒にいち早く着目して、アルコン社に声をかけたのが、取引の始まりです。

冨山芳明さんは、アルコンがケア用品を販売する初期の頃に入社されました。

オプティフリーはその後、販売許可を得て、ゆっくりと浸透していきました。

オプティフリーが普及していったのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンが1991年から、2weekの使い捨てレンズを販売開始したとき、使い捨てレンズに無償でアルコンのオプティフリーを添付していった時から、普及に弾みが付きました。

冨山芳明さんと、震災より前の事で話が弾みました。

冨山芳明さんは、関西での活躍が認められ、東京本社に転勤になり、アルコンでの幹部社員として昇進していきました。

これまでのケア用品から、アルコン社はチバビジョンと経営統合したので、コンタクトレンズの事業部門にも参入するようになりました。

チバビジョンのマーカス社長は我が社に来られました。

2011年に経営統合したときのブログ記事はこちら

2014年には日本アルコンとチバビジョンが、経営統合により日本アルコン株式会社となり、このときにチバビジョンと、日本アルコンの両方の担当者が挨拶に来られました。

阪神淡路大震災より以前の頃を知っているメーカー担当者は極めて少ないので、冨山芳明さんのように昔話を一緒に語れる方が来ると、話が弾みます。

昔の写真なども見ながら、各社の担当者の思い出話をしました。

大阪府立大学大学院で、日本のコンタクトレンズの会社の歴史の研究をした時、各社にインタビューをして、各社の歴史を教えてもらいました。

アルコン社は調査に協力的でしたが、チバビジョン社は調査を拒否されたので、論文の中にはチバビジョン社に関する記述はありません。

アルコン社はスイスに本社を置く、世界企業のノバルティスグループに属しています。

ノバルティスの考えでは、他のコンタクトレンズメーカーが普通に行っている、製品を紹介す為の販促物であるノベルティを、作る事も配ることもしていません。

例えば、アルコンの名前の入ったボールペン、メモ用紙、手帳、カレンダー、マグネット、クリアファイル、お客さんに渡す紙袋、ビニール袋などです。

公職選挙法では、議員は選挙民に対して、例え僅かな物でsも、無償で差し上げてはならないという規則がありますが、これとよく似ています。

ノバルティスの考えでは、自社製品をユーザーに選んでもらう場合、ノベルティのような添付品を差し上げる事は、自社の製品を選んでもらう為に、よこしまな誘因となりかねないという考えのようです。

およそ1時間、大変和気藹々と話が続き、これからも宜しくお願いしますということになり、今日の着任の挨拶は終わりました。

添付資料として、大阪府立大学大学院の修士論文に記載した、アルコンの資料を記載します。

調査したのは、2004年から2005年なので、記載内容は当時の内容です。

 

日本アルコン株式会社

 

会社概要

社     名 日本アルコン株式会社(ALCON JAPAN LTD.)

代表取締役社長 スコット・マニング

本     社 東京都港区赤坂2丁目17番7号 赤坂溜池タワー

設     立 1973年

資  本  金 5億円

従 業 員 数 500名

事  業  所 営業拠点: 札幌・仙台・埼玉・東京・横浜・名古屋・大阪・広島・福岡・盛岡・千葉・京都・金沢・岡山・四国・旭川・新潟・静岡・熊本・鹿児島

          その他: 南砂事業所

 

事業内容

アルコンは眼科医療のスペシャリストです。「眼」という視点において、世界中のあらゆる地域で人々のクォリティ・オブ・ライフを応援しています。特に日本のマーケットにおいては、急速に高齢化社会が進むなか、眼科医療への期待は高まる一方。日本アルコンはその期待に応えるべく、日本市場に密着した事業活動を続けています。

 

サージカル事業:眼科用医療機器、眼内レンズ、手術用品

医薬品事業:点眼薬、眼科手術用医薬品、診断薬

ビジョンケア事業:コンタクトレンズケア用品

 

 

(出典 日本アルコン株式会社HP http://www.alconlabs.com/)

 

 

眼科専門領域を自社のドメインとして定義しているアルコン社と日本アルコン社の企業組織文化と経営理念の研究を始めるにあたり、これまで紹介されている資料を引用して、日本アルコン社の紹介としたい。紹介記事は原文に沿って引用している。

 

日本アルコンのあゆみ

日本アルコンは、眼科医療分野の世界大手アルコン・インコーポレーテッドの日本法人である。

1973年 帝人株式会社との合同出資により、帝人アルコン株式会社を設立

1978年 アルコン・ラボラトリーズ社の100%出資による「日本アルコン株式会社」設立

1996年 ソフトコンタクトレンズ用コールド消毒液「オプティフリー」発売

2000年 超音波白内障手術装置「20000レガシー日本語版」発売

2005年 アルコングループ内において日本市場は世界で第二番目の市場規模に成長

 

日本アルコンは、1947年に創業したアルコン・ラボラトリー社の日本法人として設立された。

 

アルコン・インコーポレートッドの歴史

1945年 米国テキサス州フォートワースにて、ロバード・アレクサンダー氏とウィリア

ム・コナーがアルコンを創業したことから始まる。社名は、二人のAlとConを

合わせてAlconとした。米国初のドライブ・イン薬局を開設した。

1947年 会社組織とし、眼科治療薬を事業領域(ドメイン)とた。

1953年 現在では世界の企業が点眼薬を梱包する標準的な方法として使用しているプラ

スチックの点眼薬入れを開発した。

1958年 売上高が100万ドルを超えた。

1962年 国際部を新設し、海外に進出を始めた。この年の総売高は630万ドルで、そのうち海外部門の売上高は20万ドルであった。

1978年 スイスのグローバル企業「ネスレ」のグループ企業となったことで、成長と拡大

が促進された。

1980年 ビジョンケア部門に進出し、コンタクトレンズに関わる検眼医、眼科医に薬品やサービスの提供を開始した。

1997年 創立50周年

2002年 株式の約25%を公開し、本社をスイスに移転した。社名をアルコン・インコーポレーテッドに改称した。

 

アルコン本社も、世界有数のグローバル企業「ネスレ」グループに加入。その経営資源とアルコンの製品、技術、情報を結合し、眼科医療分野でより強固な基盤を築き上げました。私たち日本アルコンは、これからも眼科医療の現場に貢献し、人々の健全な眼機能によってクオリティ・オブ・ライフを豊かにすることに励んでまいります。

 

日本アルコンのビジョン

 顧客の方々と眼と手術や治療を必要とする患者さんへ、最先端かつ最高品質の製品やサービスを提供する。

アルコン社の成長の物語に、P.F.ドラッカー氏はその著『経営論集』においてイノベーションの機会の事例企業として、白内障手術に行われる靭帯を溶かす酵素を保存する保存液の着目をイノベーションギャップとして採り上げて紹介している[1]。アルコン・インダストリーズは、創業者ビル・コナー氏が、技術上のギャップをイノベーションの機会として利用することによって、1960年代最大の成功物語の一つとなった。

白内障の手術は、小さな靭帯にメスを入れる部分だけを残して完全に定型化されていた。しかし、執刀する眼科医は手術を成功させるだけの経験と技術を身につけているものの、そのメスを入れる部分は、白内障手術のプロセス全体の中からみると、あまりに異質であって、常に不安を覚えさせられる部分であった。

靭帯を溶かす酵素の存在は50年も前から知られていた。ビル・コナー氏は、この酵素を数ヶ月間生かしておける保存液を探し当てた。

眼科医たちは、直ちにコナー氏の酵素を使うようになった。アルコン・インダストリーズは、このような白内障手術と靭帯を溶かす酵素の保存液とのギャップに着目し、世界的な保存液の独占を享受した。

その15年後(1978年)には、アルコン社はネスレに膨大な金額で売却された。

 

アルコン社の新卒、中途入社社員向け研修

 日本アルコン入社時に必ず受ける研修を第3の代表的な研修として紹介する。これは、日本アルコンで与えられた職務を果たすのにあたって最低限必要な知識を習得するものだ。

中途入社社員については、最低2週間、眼科領域の基礎と製品教育が行われた後、現場に配属されるが、新卒社員には約9ヶ月間の教育プログラムが用意されている。

新卒社員は4月1日の入社式を終えたのも束の間、その後約1ヶ月間は合宿形式の研修に参加する。ここでは、学術研修による薬剤学、薬理学や疾病などの基礎教育研修と、人事総務部によるビジネス・マナー研修が行われる。

合宿後は、東京本社で6月末まで製品教育研修が行われ、配属後はOJTで先輩との同行教育と本社でのフォローアップ研修が行われ、9ヶ月間の長い道のりをたとっだ後、MR試験に挑む、のがその全工程である。

 

<<参考文献・資料>>

・Drucker, Peter F., PETER DRUCKER ON THE PROFESSION OF MANAGEMENT, Harper & Row,Publishers,Inc.,1993

(上田惇生訳『P.F.ドラッカー経営論集』ダイヤモンド社、1998年

・「The Discipline of Innovation」



[1] Drucker, Peter F. PETER DRUCKER ON THE PROFESSION OF MANAGEMENT,

Harper & Row,Publishers,Inc.,1993(上田惇生訳『P.F.ドラッカー経営論集』ダイヤモンド社、1998年

The Discipline of Innovation(Harvard Business Review1985年5-6月号)「企業家精神の根幹:体系的なイノベーションの実践」として翻訳掲載

2018年1月26日(金)

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